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— 神薬ビンに関する考察 —

<2011年、“わたらせの「水」をめぐる” リサーチの最中に足尾でで偶然出会った、コバルトブルーの小瓶にまつわるエッセイ>


足尾歴史館を訪ねた時,その2階の一角に展示されていたアンティーク瓶のコレクションに私は釘付けになってしまった。足尾銅山の坑口のひとつ、小滝坑付近では往時の人々の生活を偲ぶ遺物としてさまざまな瓶が地中から発掘されている。その中でもひときわ異彩を放っていたのが,深いコバルトブルーの色をした 美しい“神薬”のガラスビンの数々だった。それらはどれも小さく,手のひらにすっぽりと収まってしまうようなサイズだ。中に入る液体も一口で飲み干せてしまう位の容量である。

"神薬"とは諸症状に効く万能薬、気付け薬として明治初期から昭和中期頃まで日本全国で幅広く製造されていた飲み薬だ。しかしその主成分はクロロフォルムやアヘンなどの劇薬で、実は非常に危険な代物だったらしい。戦後政府がこれらの成分の大衆薬への使用を禁止したこともあって市場から徐々に姿を消して行った。昔は一般的な家庭薬だったようなので、空き瓶が日本中のどこで見つかってもおかしくないのだろうが,足尾とこの神薬とは何だか不思議なつながりが有るように私には思えた。「神薬」という言葉にはもともと霊薬、不老長寿の薬という意味がある。鉱山の過酷な労働環境のために鉱夫の平均寿命は短かった。足尾の鉱夫達は日々の疲労を和らげるため、また少しでも長生きしたいと願ってこの神薬を飲んでいたのだろうか? しかし一歩間違えると長寿どころか命取りになりそうだが。

私が神薬というものの存在を知ったのはこの時が初めてだった。私は自分の作品制作の素材のひとつとして割と長い事ガラスに関わっていて専門知識も多少あるが、今まで工業的に作られたガラス瓶にはあまり目を向けた事がなかった。ただし、工業製品といっても歴史館に展示されている瓶たちは相当の年代物に違いない。ガラスの質は不均一で,よく見ると気泡のぶつぶつがたくさん入っている。一応金型を使って量産されたもののようだが、形もちょっといびつである。手作り感のあふれる工業製品なのだ。でもそれが素朴でいい味をだしていてる。現代の規格通りにぴしっと作られた製品にはない魅力だ。

そのうちにふと、この神薬ビンをテーマに新しい作品を作ってみたいというアイデアが浮かんできた。後日歴史館の館長にお会いする機会があり、神薬ビンのコレクションのことをいろいろと伺った。すると館長は研究のために持っていていいよと、展示ケースの中から神薬ビンの一つをを取り出して来て私に快く貸して下さったのだ。こんな所で思いがけず素敵なガラスに出会うことができ、私はうれしかった。初めて手にする神薬ビンはひんやり冷たく怪しげな輝きを放っており、その輝きの中に、鉱山の活気で賑やかだった頃の足尾の幻影を垣間見る気がした。

毒薬

Museum of American Glassの毒薬ビンコレクション

足尾での滞在を終えて一週間後,私はアメリカ、ニュージャージー州のミルヴィルという小さな町にあるWheatonArts というアートセンターに付属するCreative Glass Center of America(CGCA)のフェローとして招聘され、6週間のレジデンスプログラムに参加することになっていた。ミルヴィルは古くからガラス産業で栄えていた町で,周辺地域ではガラスの原料も生産されている。このセンターには吹きガラス工房をはじめ、陶芸、木彫工房などクラフト分野の様々な設備があり、神薬のプロジェクトをするにはもってこいの場所のように思えたので、ビンもアメリカに持って行くことにした。

WheatonArtsに着いてから、センター内のMuseum of American Glassというガラスの美術館を見学する機会があった。この美術館には地元の工場で製造されたアメリカ初期のガラス製品(一番古いものでは1739年製-)が数多く展示されている。ギャラリーに入ってすぐ目につくのは多種多様なビンのコレクションだ。その中にいくつかの「毒薬」ビンを発見した。展示の説明文によると、当時の毒薬ビンは劇物だとすぐに識別できるように変わった形や表面に凹凸のあるデザインが多かったそうだ。一番特徴的だったのはどくろの形をした深い青色のビンである。しげしげと眺めるうちに、何だか足尾の神薬ビンを彷彿させることに気がついた。その瞬間、一見関連性の全く無いように見えた二つの点と点がつながったような気がした。日本の足尾とアメリカのミルヴィル、私が滞在したこの2つの場所は確かに偶然の組み合わせだが,「青い毒薬のビン」というフィルターを通して観た時,(全く私の思い込みのせいかもしれないが、)何かそこには宿命的なものが感じられたのだ。

しかし肝心の「神薬をモチーフに何か新しい作品を作る」という計画は、なかなか具体的なアイデアが浮かばないまま暗礁に乗り上げていた。CGCAのガラス工房にはガラス器の成形に使う色々な金型やプレスマシンなど興味深い道具が色々とある。神薬のレプリカのようなものを作ったらどうかとも考えたが,ただ単にレプリカを作っただけではちっとも面白くないし、それに工業生産でなく手作りでこれだけ小さいビンを作るのは技術的に難しい。その他にも考えていた制作プランが幾つかあったため、そちらの方に忙しくなってしまい、神薬の件は残念ながらお蔵入りになるかと思われた。

レジデンスプログラムも終盤になった10月、WheatonArts ではクラフトフェスティバルという2日間のイベントが開催され,その折に私もフェローシップ期間に作った作品を公開する機会を頂いた。ちょっと迷った末、厳密には私の「作品」ではないけれど、神薬のビンも研究資料の一部として展示することにした。ギャラリーの公開時間には私もそこにいて、来訪者の質問などに答えるというインテラクティブな展示スタイルだったので、色々な人から作品の感想を直に聞く事が出来、とても勉強になった。その中に神薬のビンを見て,とてもはしゃいだ様子を見せる一人の女性がいた。よくよく聞いてみるとこの人(ナンシー・シャープさん)は近所に住んでいる藍色のビンの熱心な収集家で,自宅の一室には長年集めた相当数のコレクションがあるという。 ナンシーさんはとても気さくな方で,神薬のビンの由来や足尾のことに興味を持ってくれた。しまいには何と「これと似ているコバルトブルーの小ビンをもっているから、それをあなたにプレゼントするわ。今度持ってきてあげるわね。」と仰ったので、私はとてもびっくりした。

    shinyaku     ナンシー 
  左:足尾の神薬瓶(写真右)とナンシーさんの瓶(写真左)     右:ナンシーさん 

フェスティバルが終わってから2,3日後、ナンシーさんは約束通りにビンを持ってきて下さった。丁寧にギフトラップされた包みを開けてみると、それは神薬ビンとほぼ同じ大きさの、表面にリブ模様の入ったきれいな青いビンだった。色は若干薄いコバルトブルーだ。どうやらこれも毒薬のビンだという。ビンの詳しい年代は分からないけれど、おそらく半世紀以上前のものではないか。これは後で調べて知ったことだが、コバルトブルーの深い藍色ガラスは洋の東西を問わず、薬品-特に劇薬のビンに多い色だったようだ。濃い色が日光を遮り、中身の変質を防ぐという実用的な理由ももちろんあるのだろうが、この色には独特のミステリアスな雰囲気があり、想像力をかき立てる何かがある。

このようないきさつを経て,今私の手元にはコバルトブルーのビンが二つある。並べて眺めてみると、不思議にこの2つのビンは遠く離れて育った双子のように、どこかで出会う運命にあったのではないかとさえ思えてくる。足尾で発掘された一個の神薬ビンは、ひょんなことから私が預かり、さらに遠く六千数百マイル離れた異国の地へ旅をし、そこで「相棒」を得たのだ。神薬ビンをテーマに何かを作るという案に関しては,その後具体的な制作プランが未だにちっともまとまっていないのだが、まずは私がこのビンと共に体験した出来事を記録しておこうということで、とりあえずこの文章を書き記すに至る。


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